小学校の先生向け研修用教材(Scratch、Viscuit)
まずは文部科学省のHPから情報を集めてみました。
文部科学省の主張
文部科学省のHPに掲載されている「小学校プログラミング教育の趣旨と計画的な準備の必要性について」というを読んでみました。
資料の構成は以下のようになっていました。
Ⅰ これからの社会と教育 Ⅱ 学習指導要領改訂と情報活用能力 Ⅲ なぜ小学校でプログラミング教育を導入するのか Ⅳ 小学校プログラミング教育のねらいと育む資質・能力 Ⅴ プログラミングに関する学習活動の分類と指導の考え方 Ⅵ 令和2年度の全面実施に向けた計画的な準備の必要性 Ⅶ 参考資料(プログラミング教育) Ⅷ 参考資料(ICT環境整備等)
Ⅵ 令和2年度の全面実施に向けた計画的な準備の必要性
上記ページ内に記載されているリンクは以下になります。 小学校プログラミング教育に関する研修教材:文部科学省
- 「小学校プログラミング教育の概要」が動画で解説されています。
Scratch
やViscuit
といったソフトウェアの使い方や、授業への取り入れ方の例が紹介されています。
採用されたソフトウェアが具体的に示されているところが一番のポイントだと感じました。
小学校プログラミング教育の留意点
まずは文部科学省のHPから情報を集めてみました。
文部科学省の主張
文部科学省のHPに掲載されている「小学校プログラミング教育の趣旨と計画的な準備の必要性について」というを読んでみました。
資料の構成は以下のようになっていました。
Ⅰ これからの社会と教育 Ⅱ 学習指導要領改訂と情報活用能力 Ⅲ なぜ小学校でプログラミング教育を導入するのか Ⅳ 小学校プログラミング教育のねらいと育む資質・能力 Ⅴ プログラミングに関する学習活動の分類と指導の考え方 Ⅵ 令和2年度の全面実施に向けた計画的な準備の必要性 Ⅶ 参考資料(プログラミング教育) Ⅷ 参考資料(ICT環境整備等)
Ⅴ プログラミングに関する学習活動の分類と指導の考え方
学習指導要領では児童がプログラミングを体験することを求めている。
- 「プログラミング教育全体において児童がコンピュータをほとんど用いないということは望ましくない」と言い切っている。
目的や単元、児童の発達の段階に応じて適切な言語や教材を選択する
- 疑問点
- 誰の判断で「目的」に応じた使い分けを行うのか?
- 誰の判断で「自動の発達の段階」に応じた使い分けを行うのか?
- 疑問点
各教科にプログラミングを取り入れた場合でも、「各教科等の評価基準により評価する」べきであり、「プログラミングを取り入れたコトだけを評価・評定するものではない。」
- 「プログラミングを取り入れるという行動に至るまでの過程」や「課題解決への積極性」等は評価対象になりそう。
小学校プログラミング教育のねらいと
まずは文部科学省のHPから情報を集めてみました。
文部科学省の主張
文部科学省のHPに掲載されている「小学校プログラミング教育の趣旨と計画的な準備の必要性について」というを読んでみました。
資料の構成は以下のようになっていました。
Ⅰ これからの社会と教育 Ⅱ 学習指導要領改訂と情報活用能力 Ⅲ なぜ小学校でプログラミング教育を導入するのか Ⅳ 小学校プログラミング教育のねらいと育む資質・能力 Ⅴ プログラミングに関する学習活動の分類と指導の考え方 Ⅵ 令和2年度の全面実施に向けた計画的な準備の必要性 Ⅶ 参考資料(プログラミング教育) Ⅷ 参考資料(ICT環境整備等)
Ⅳ 小学校プログラミング教育のねらいと育む資質・能力
小学校プログラミング教育のねらい
要は
- 「プログラミング的思考」という考え方を育む
- コンピュータやプログラムに対する基礎知識を身に着け、簡単な操作はできるようにする
- 各教科の理解を深めるための道具として利用する
ってことだと思います。
また、
- 児童がおのずと、プログラミング言語を覚えたり、プログラミングの技能を習得したりするといったことは考えられ るが、それ自体をねらいとしているのではない
と明記されています。 よって、上記の内容を鵜呑みにすると
- 小学校の授業で特定のプログラミング言語を習得することは考え難い。
- 小学校の授業でコーディングが重要視されることはない。
と主張しているように感じます。
拡大解釈すると、
一般的にプログラミングにより得られる結果は、それに至までの過程(コーディング)が必要になるので、
コーディングという過程を極端に簡素化、簡略化したパッケージによる学習であると予想できます。
ただし、
アルファベットやローマ字は3、4年生あたりで触れるはずですので、小学校高学年になれば、キーボードを使用した文字入力が発生してもおかしくないです。
小学校3年生、4年生辺りで、プログラミングに対する種がまかれ、5年生、6年生辺りで育てることができれば、 中学生以降の学習がスムーズになるように感じます。
小学校プログラミング教育で育む資質・能力
要は
- 「論理的に考える力」というプログラミングに限定されない能力を育てる。
- プログラミングの特徴を理解して、活用できるようにする。
という能力を育てることが目標となっているようです。
小学生にプログラミング学習ってなぜ?
まずは文部科学省のHPから情報を集めてみました。
文部科学省の主張
文部科学省のHPに掲載されている「小学校プログラミング教育の趣旨と計画的な準備の必要性について」というを読んでみました。
資料の構成は以下のようになっていました。
Ⅰ これからの社会と教育 Ⅱ 学習指導要領改訂と情報活用能力 Ⅲ なぜ小学校でプログラミング教育を導入するのか Ⅳ 小学校プログラミング教育のねらいと育む資質・能力 Ⅴ プログラミングに関する学習活動の分類と指導の考え方 Ⅵ 令和2年度の全面実施に向けた計画的な準備の必要性 Ⅶ 参考資料(プログラミング教育) Ⅷ 参考資料(ICT環境整備等)
Ⅲ なぜ小学校でプログラミング教育を導入するのか
なぜ小学校から?
子供たちの可能性を広げる
- 創造力を発揮(→起業、特許取得等につながるかもしれない)
今後の社会は、あらゆる活動においてコンピュータを活用する能力が求められる。
- コンピュータを理解し活用する能力が重要
- 将来どのような職業に就くとしても、きわめて重要。
- コンピュータを理解し活用する能力が重要
学習指導要領の比較
小学校で子供たちが実施することを文面から予想すると、 『与えられた課題通りに、何かを操作する』程度のことではないだろうか?
課題設定能力の育成に関しては棚上げ感がありますが、『まずは道具として使えるようにしておく』ということだと思います。
使うときが絶対に来るから使えるようにしておく。
- 社会で働く際に絶対に必要になるだろう。その時に備えて使えるようにしておきましょう。
- 英語が必要になったときに英語の勉強をするのではなく、英語が必要となるときに使うために英語を勉強しておく。
学習指導要領改訂とプログラミング学習
前回に引き続き、文部科学省のHPから情報を集めてみました。
文部科学省の論理構造
文部科学省のHPに掲載されている「小学校プログラミング教育の趣旨と計画的な準備の必要性について」というを読んでみました。
資料の構成は以下のようになっていました。
Ⅰ これからの社会と教育 Ⅱ 学習指導要領改訂と情報活用能力 Ⅲ なぜ小学校でプログラミング教育を導入するのか Ⅳ 小学校プログラミング教育のねらいと育む資質・能力 Ⅴ プログラミングに関する学習活動の分類と指導の考え方 Ⅵ 令和2年度の全面実施に向けた計画的な準備の必要性 Ⅶ 参考資料(プログラミング教育) Ⅷ 参考資料(ICT環境整備等)
Ⅱ 学習指導要領改訂と情報活用能力①
ココは小中高を問わず学習指導要領の改訂ポイント
が記載されています。
「情報活用能力」=「学習の基礎となる資質・能力」
『言語能力』と『情報活用能力』は学習の基礎
きっと
- 『言語能力』は自ら『収集する情報の量、及び質』に作用する
- 『情報活用能力』は情報の『活用方法』に作用する
ってことだと思う。
学校のICT環境を整備したうえで、ICTの活用方法を指導する。
きっと
- 一人一台PC/タブレットが当たり前になる。
- 授業で使うのが当たり前になる
- 小中高等学校をすべてで、WiFi等のインフラ整備が進む。(サクサクが当たり前)
- 自宅でも利活用するのが当たり前になる
- 宿題等を自宅で実施する。
- リモート授業等が発生する可能性が出てくる
- 授業で使うのが当たり前になる
ってことだと思いました。
疑問点
この時点での疑問点は
- 学校用端末/自宅用端末は別?
- 通学時に持ち歩く?
- 学校用端末/自宅用端末はだれが買い与える?
という内容が気になります。
家庭でできること
親としては
- 外国語学習に力を入れるように、ITリテラシー学習にも力を入れる
- IT技術やインターネットの『良い面/悪い面』をしっかりと教える。
- しっかりとルールを決めて使わせる。
- 使い方を見守る。
- 家庭のIT環境を整える
- 積極的に端末を与える
- 『在宅授業×兄弟数』+『在宅勤務』に耐えうるIT環境を構築
ということが大切になってくるのかな?
それにしても、、、
公立学校の生徒にPC・タブレットが一人一台の時代がやってくるとはとても思えない、、、
情報活用能力を育成するための手段がプログラミング
- 小学校のポイント
- 文字入力の基本的な操作の取得
- プログラミング的思考を育成
- 中学校のポイント
- 技術・家庭科(技術分野)においてプログラミングに関する内容を充実
- 高等学校
- 情報化において共通必修科目『情報Ⅰ』を新設
中学校・高等学校で何がどう変わるかはよくわかりませんが、
小学生のうちからPC等を使って文字入力等の操作を実施することのなるのは間違いなさそうです。
この時点では『プログラミング的思考』という単語は登場しますが、プログラミングを実施するかは不明です。
Ⅱ 学習指導要領改訂と情報活用能力②
ICT技術によってもたらされる影響との向き合い方を教える
情報活用能力:情報及び情報手段を主体的に選択し活用していくための個人の基礎的な力
分類 | 具体例 |
---|---|
情報活用の実践力 | ICTの基本的な操作、情報の収集・整理・発信 |
情報の科学的な理解 | プログラミング |
情報社会に参画する態度 | 情報モラル |
(英語と同様に)ICTを道具として活用できるようにすることで、 ICTによってもたらされる恩恵を享受できるようにする。 ICTの恩恵を享受できるかどうかは、個人の能力次第。 ってことかな?
参考文献
プログラミング学習はどこから湧いて出た?
まずは文部科学省のHPから情報を集めてみました。
文部科学省の主張
文部科学省のHPに掲載されている「小学校プログラミング教育の趣旨と計画的な準備の必要性について」というを読んでみました。
資料の構成は以下のようになっていました。
Ⅰ これからの社会と教育 Ⅱ 学習指導要領改訂と情報活用能力 Ⅲ なぜ小学校でプログラミング教育を導入するのか Ⅳ 小学校プログラミング教育のねらいと育む資質・能力 Ⅴ プログラミングに関する学習活動の分類と指導の考え方 Ⅵ 令和2年度の全面実施に向けた計画的な準備の必要性 Ⅶ 参考資料(プログラミング教育) Ⅷ 参考資料(ICT環境整備等)
Ⅰ これからの社会と教育
- ココは導入的な内容です。
プログラミング
やプログラミング学習
といった単語は、まだ登場しません。
社会の変化に合わせて学校教育も変化させる必要がある!
学校教育を受ける子供たちに、以下のメッセージを送っているのだと感じました。
これから世の中が大きく変化しようとしていますが、そんな変化のなかでも「前向きに生きましょう」「主体的に生きましょう」そして「必要とされる人材になりましょう」
そして、改定される学習指導要領に上記のような人間を育てる手段が盛り込まれることが分かりました。
その他、気になった(気になってしまった)内容
上記のページで気になったのは『不安の声』の内容になります。
『技術の進化によって人間の仕事が奪われる』という被害妄想的な論理構成
“人工知能の急速な進化が、人間の職業を奪うのではないか”といった不安の声
「技術の進化」とはそういうものではないでしょうか。 例えば電化製品は今でこそ工場で自動で機械が組み立てているのが当たりまだと感じますが、昔は今よりも手作業の割合が大きかったはずです。 少しづつ手作業の代わりとなる技術が導入される過程で、不良率と価格が下がり、生産量が上がってきたのではないでしょうか。
変化の中を生きる人間にとっては一大事であるかもしれませんが、将来を生きている人間にとってはそれが当たり前になっているということに気が付きました。
現時点で"どの程度つようしているのか"を可視化しているのか?
“今、学校で教えていることは、時代が変化したら通用しなくなるのではないか”といった不安の声
「通用する/通用しない」という判断基準は、対象がおかれている状況によって大きく左右されます。 この判断を行う上で以下を明確にしなければいけないと思います。 - 通用しなくなるのは「学校教育」なのか、それとも「学校教育によって育てられた人間」なのか。 - 「通用する」「通用しない」とはどのような状態を指しているのか。
学校の授業で習ったことが、どのように役に立っているのかよくわかっていません。 そもそも、学校で教わったことはほとんど何も残っていないように感じていますが、 「現在の学校教育で通用していると判断されているものは何か。」を可視化できているのかが不明です。
不安の声ってどうやって集めたの?
そもそも、上記不安の声を文部科学省はどのように集めたのでしょうか?
文部科学省が演出上の都合で整えた気配を感じますが、伝えたい内容は 「学習指導要領を変更するのは、これまで(自分たちが)推進してきた内容に落ち度があったからではなく、これからの変化に備えるため」という、言い訳じみた内容ではないかと予想します。
参考文献
小学生のプログラミング学習を中心に調べます。
「小学生が学校でプログラミングを学ぶ」というニュースを見かける機会が増えてきました。
仕事でプログラミングを行っている身としては、「プログラミングは手段であって目的ではないのだから、小学生のうちからプログラミングなんか必要ないのでは?」と思う一方、
その「手段が在るか無いかで、人生の質が変わるかもしれない!」とも感じます。
これは自分が英語ができないことに対する言い訳として、
「英語はコミュニケーションの手段であって目的ではない」「自分に根付いた母語で何を感じ、何を考えるかの方が重要」と言いながらも、
英語は「出来た方がよい」し「出来るべきだ」とさえ思うようになっている状況と似ているように感じます。
グローバル化が進む中で英語の重要性に気がつき、義務教育として英語教育(英語学習)を取り入れる判断は間違っていなかったのだと思いますが、
方法を間違え続けたために、義務教育を経て大人になった多くの日本人には「手段としての英語」ではなく「コンプレックスとしての英語」しか残っていないのではないでしょうか。
プログラミングに関しても、「小さなうちから、手段としてのプログラミングを教える」という流れは、もはや否定することがでいないのかもしれません。
しかしながら、「この国が正しい方法を選択することを期待できない」のも現実だと思います。
まずは、プログラミング教育、プログラミング学習に対し自分で調べ、感じ、考えることから始めたいと思います。