プログラミング学習はどこから湧いて出た?
まずは文部科学省のHPから情報を集めてみました。
文部科学省の主張
文部科学省のHPに掲載されている「小学校プログラミング教育の趣旨と計画的な準備の必要性について」というを読んでみました。
資料の構成は以下のようになっていました。
Ⅰ これからの社会と教育 Ⅱ 学習指導要領改訂と情報活用能力 Ⅲ なぜ小学校でプログラミング教育を導入するのか Ⅳ 小学校プログラミング教育のねらいと育む資質・能力 Ⅴ プログラミングに関する学習活動の分類と指導の考え方 Ⅵ 令和2年度の全面実施に向けた計画的な準備の必要性 Ⅶ 参考資料(プログラミング教育) Ⅷ 参考資料(ICT環境整備等)
Ⅰ これからの社会と教育
- ココは導入的な内容です。
プログラミング
やプログラミング学習
といった単語は、まだ登場しません。
社会の変化に合わせて学校教育も変化させる必要がある!
学校教育を受ける子供たちに、以下のメッセージを送っているのだと感じました。
これから世の中が大きく変化しようとしていますが、そんな変化のなかでも「前向きに生きましょう」「主体的に生きましょう」そして「必要とされる人材になりましょう」
そして、改定される学習指導要領に上記のような人間を育てる手段が盛り込まれることが分かりました。
その他、気になった(気になってしまった)内容
上記のページで気になったのは『不安の声』の内容になります。
『技術の進化によって人間の仕事が奪われる』という被害妄想的な論理構成
“人工知能の急速な進化が、人間の職業を奪うのではないか”といった不安の声
「技術の進化」とはそういうものではないでしょうか。 例えば電化製品は今でこそ工場で自動で機械が組み立てているのが当たりまだと感じますが、昔は今よりも手作業の割合が大きかったはずです。 少しづつ手作業の代わりとなる技術が導入される過程で、不良率と価格が下がり、生産量が上がってきたのではないでしょうか。
変化の中を生きる人間にとっては一大事であるかもしれませんが、将来を生きている人間にとってはそれが当たり前になっているということに気が付きました。
現時点で"どの程度つようしているのか"を可視化しているのか?
“今、学校で教えていることは、時代が変化したら通用しなくなるのではないか”といった不安の声
「通用する/通用しない」という判断基準は、対象がおかれている状況によって大きく左右されます。 この判断を行う上で以下を明確にしなければいけないと思います。 - 通用しなくなるのは「学校教育」なのか、それとも「学校教育によって育てられた人間」なのか。 - 「通用する」「通用しない」とはどのような状態を指しているのか。
学校の授業で習ったことが、どのように役に立っているのかよくわかっていません。 そもそも、学校で教わったことはほとんど何も残っていないように感じていますが、 「現在の学校教育で通用していると判断されているものは何か。」を可視化できているのかが不明です。
不安の声ってどうやって集めたの?
そもそも、上記不安の声を文部科学省はどのように集めたのでしょうか?
文部科学省が演出上の都合で整えた気配を感じますが、伝えたい内容は 「学習指導要領を変更するのは、これまで(自分たちが)推進してきた内容に落ち度があったからではなく、これからの変化に備えるため」という、言い訳じみた内容ではないかと予想します。